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2010年06月 アーカイブ

多文化主義になった背景

オーストラリアは人口構成の多様化と、伝統文化・言語への深い愛着から、文化・言語の維持を望む非英語系移住者の拡大、そして、自国のアジア太平洋国家化によって人種差別的な白豪主義を廃止したのです。

そして、多様な言語の存在と維持を認める「多文化主義」が1973年に先駆的に唱えられ、以後1980年代になると普及しはじめました。

そして、名実ともに多文化社会オーストラリアとなったのです。

現在では、多文化教育・多言語教育・多文化放送が実施されています。

また、病院、裁判所、警察、行政サービスなどの通訳サービスや多言語出版物の配付は、当然のこととなっています。

移民・難民のエスニック・コミュニティーの運営補助や、文化・言語維持活動への補助なども行われています。

現在、主要な大学には多文化問題研究センターが設置され、研究補助も政府によって行われています。

今日、白豪主義オーストラリアのイメージは現状に全くそぐわぬものとなっています。

こうした結果、1995年5月キーティング前連邦首相は、オーストラリアの自律意識の高まりとアジア太平洋国家化に加えて、社会の多文化社会・多民族国家化への動きを強く印象づけるために英国との歴史的関係を象徴する立憲君主制を廃しました。

大統領を頂点に抱く共和制国家化への移行に、必要な憲法改正提案を議会で行ったのです。

多文化主義になった背景 その2

共和国化への支持は90年代に上昇し、90年代半ばには50%を越えるまでになりました。

しかし、キーティング首相案では、現連邦総督を連邦議会選出の大統領に置き換えるにすぎなかったのですが、国民の8割近くが大統領を直接選挙で選出したいと望んでいるため、政府と国民の間に食い違いがみられます。

それでも、約半数の国民が共和国化を支持していることは事実であるため、共和国化反対を貫いてきた自由党・国民党保守連合も、政治体制移行に関する憲法会議の実施を受け入れるまでになりました。

その結果、憲法会議は1998年2月に実施されることになり、そのために憲法会議代議員152名の選出が郵便投票にて97年11~12月にかけて行われました。

その直前、97年11月には、ハワード首相も大統領の選出はキーティング案でよいのではないかとの声明を発表しました。

そのこともあって、2月の憲法会議では、1999年末までに共和制移行を問う国民投票を実施することが決められました。

以上のように、多文化社会化してきたオーストラリアですが、そこには多民族国家というもう1つの側面を忘れることはできません。

つまり、オーストラリアは、移民文化が多数併存する多文化社会であるだけではなく、先住民族アボリジニが住む多民族国家であります。

アボリジニは白人流刑囚が入植する前からオーストラリアに住んでいた先住民族であり、事実上のオーストラリアの土地所有者です。

居住の歴史は5万年前にも遡れるとされる彼らこそ、オーストラリアの主権者でした。

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