北海道のジャコ その2
伐採や搬出の仕事は、一日いくらの日給ではなく、一〇〇石(三三〇立方メートル)でいくらという請負方式でしたから、出かせぎにいった人たちは、少しでも能率をあげるために、朝早くから暗くなるまで働いたものです。
足場の悪い雪山での仕事なので、ちょっとの油断で倒れてくる木の下敷きになったり、マサカリで自分の足を切ったり、ソリに潰されたりという事故にあいます。
事故があったときには、マサカリで丸太を「パアーン、パアーン」と叩いて合図します。
その合図があると、みんな仕事をやめて駆け付けるのですが、人里はなれた山の奥ですから、充分な手当てもできず、死んでいく人が多かったのです。
山の仕事は、命がけの危険の多い仕事です。
その上、悪い親方にかかると、働かせるだけ働かせて、賃金を払うときになると、なんだかんだと難くせをつけて、約束通り払ってくれず、帰りの旅費にも足りないようなこともありました。
また、娯楽もない飯場ぐらしですから、仕事のできない日や夜などは、博打が盛んに行われました。
その仲間に入って、せっかくの稼ぎを獲られてしまい、帰るに帰れないような目に合うようなこともありました。
そんなことで、出かせぎに出たまま、何年も何十年も飯場から飯場を渡り歩いて暮らしている人が、北海道やカラフトの山には何百人と居たといいます。
こういう人を「ジャコシカ」とよんでいました。
血気盛んな若いうちはまだ良いのですが、六十歳にもなって、なお飯場を渡り歩くジャコは、悲しく寂しいものだったと思います。
ともあれ、北海道の山林は、そういう開拓者や出かせぎ者の働きによって、開発されていったのです。